霊陰宗源和尚の拄杖(しゅじょう)

本日(令和3年5月15日)発行の青梅市広報の「青梅市の文化遺産」欄は、当山3世霊陰宗源が使用していたと伝わる杖の紹介です。
下のリンクの9ページに掲載されています。
なお、天寧寺ではこの拄杖の一般公開をしております。6月末まで予定しています。
どうぞご見学ください。

広報記事の内容

 拄杖《しゅじょう》とは禅僧の持つ長い杖のことです。

 仏教に関連する杖は他にも、錫杖《しゃくじょう》(修行僧や修験者が用いる杖で頭部の金属製の遊環から音が鳴る)や金剛杖(霊場巡礼に欠かせない杖)などがあります。それらの中でも拄杖は上に伸ばした手の先から足先までの長さ程度に拵えることが多く、杖の中でも最大級の全長となり、主に新住職の就任式典など儀式用として用いられます。

 この霊陰宗源《れいいんそうげん》和尚の拄杖も全長2m10㎝の堂々たるサイズです。形状は円柱形で直径35㎜、木造で全体が青貝塗り(螺鈿)で覆われています。銘や彫刻などの文字は見当たりませんが、明治19年に編集された天寧寺寺籍財産明細帳にこの拄杖の出自及び意匠が記録されています。

 さてこの拄杖の持ち主である霊陰宗源和尚とはどのような人物でしょうか。

青梅市史によれば和尚は奥州白川郡の生まれで生年不詳、青梅市根ケ布天寧寺2世松澗《しょうかん》玄秀大和尚を継ぎ、同寺の3世住職に就任しました。和尚は新寺建立にも熱心で黒沢の聞修院、東青梅の光明寺、奥多摩町氷川の慈眼寺を開きます。なお、大永元(1521)年に三田政定が寄進した天寧寺銅鐘に刻まれている銘文に宗源和尚の筆跡が現存しています。

 天文11年(1542)6月3日、宗源和尚は自らの隠居寺に定めた聞修院にてこの世を去ります。三田氏はその後約20年ほどで後北条氏に攻め滅ぼされますが、和尚の拄杖は銅鐘とともに幾多の災禍をくぐりぬけて約500年前の三田氏の隆盛期を現代に伝える貴重な文化遺産となっています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA